2017-09-22

「ポニョはわかりづらい」という意見について、宮崎監督はどう思っているのか?


『崖の上のポニョ』という作品は、どうやら「意味がわからない」という感想を持つ人が多いそうです。私も初見は「これは今までのジブリ映画とは見方が違う映画だ」と感じました。一体、この違和感はどこから来るのでしょう?

今回は、宮崎監督の言葉から「ポニョのわかりづらさ」について語った部分をご紹介し、ここから「ポニョの見方」についてのヒントを得たいと思います。

以下、書籍『続・風の帰る場所』より引用です。
ーー(前省略)『ポニョ』を作ってる時は、これが最後の作品になるかもしれないっていう思いはあったんですか?

宮崎「いや。わかりやすい作品を作ろうと思ったんですけど、僕は。で、とてもわかりやすい作品になったと思うんですけども、みんなわかんないらしいんですよね」

ーーまあ、あれは芸術映画ですよ。前衛映画ですよ。

宮崎「そりゃ、いつだって前衛なんですよ!」

ーーまあ、そうですが。

宮崎「『トトロ』も『ナウシカ』もみんな前衛映画ですよ(笑)。だから、好きですっていう人はずいぶん経ってから現れるんです。10年ぐらい経ってから。」

(中略)

ーーさっきも言ってたように、『ポニョ』はわかりやすい映画かもしれませんが、「あのあばあちゃんたちは生きてるの?死んでるの?」とか「結局一番最後にポニョはどうなったの?」とか「ポニョのお母さんはなんだったの?」とか、ありとあらゆる疑問がある映画で、だからそれを僕は前衛映画って言ったんですよね。だけど観ている子供たちは、そんなことに興味を持たないだろうし、普通に楽しんで「ああ面白かった」って言ってしまう、不思議な映画なんですよね。

宮崎「ええ、だって、昔話ってのはそういうものですからね」

ーーそうですね。

宮崎「昔話を否定できる人、なぜ桃太郎が桃から生まれるんだとか、そういう『なぜ?』っていう因果律だけで世界ができてると思ってる人は、ちゃんちゃらおかしい現代人ですよ。違いますよ。因果律で表現することなんて、全然どうでもいいことですよ。女ですよ、ポニョは。で、宗介は男です。男の悲哀を十分背負ってこれから生きていくんですよ(笑)。ポニョはますます女になるんですけど。恐ろしいことに」

重要なキーワードは「昔話」です。「なぜ桃太郎が桃から生まれるんだ?」なんて昔話に本気で問うて、物語を否定する人は滅多にいないでしょう。つまりポニョという物語も同じように考えればいいのです。ということで、因果律は無視しましょう。「〇〇が分からない」という人は「なぜ?」という疑問を一切捨てればいいのです。「ポニョは昔話みたいなものなんだ」という風に観れば、「なぜ?」という疑問は全て「そういうものだから」に変換され、とてもわかり易い映画になるのだと思われます。

「おばあちゃんたちが生きてるかどうか?ポニョはあの後どうなったのか?ポニョのお母さんは何だったの?」はとりあえず「昔話みたいなもんなんだから、大丈夫に決まってる!」「昔話なんだから考えなくて良し!」とすればいいのです。とてもわかり易いですね!(…と言いながら、当ブログではこのいずれにも答えを出しているのですが(笑))


さて、ポニョは2008年の作品です。既に公開から10年以上経っています。『トトロ』や『ナウシカ』のようにさらなる再評価がされるのでしょうか!?





【こちらも併せてどうぞ】
ポニョと宗介はどうなるのか?『崖の上のポニョ』には続編の構想があった!

『崖の上のポニョ』 津波の後の町は“死後の世界”ではありません。

『崖の上のポニョ』グランマンマーレの正体は巨大な○○だった!?